劇評

戯曲関連

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Vol.07「夜のキリン」
浦崎 浩實氏 
(演劇総合雑誌テアトロ2001年1月号)

海市ー工房「夜のキリン」は、海の傍らの小さな喫茶店が舞台。

経営する女とその弟の疑似近親相姦を見え隠れさせながら、

そこに出入りする人々の言葉にならない欠落感を浮かび上がらせる。

これだけ密度ある台詞が書けるのが羨ましい。

Vol.8「迷いアゲハ」
浦崎 浩實氏 
(テアトロ2001年8月号)

海市ー工房「迷いアゲハ」は、死刑囚(小松幸作)による共同体の不幸な記憶。

“触って匂いを嗅ぐ”という他者確認を

不可能にする共同体の焦燥を、 主人公が担っている。

ちょい役の宗教書売りが愉快で、気まじめでブルーな芝居を救ってくれる。

Vol.11「夜のキリン」
斎藤 偕子氏 
(テアトロ2002年12月号)

しゅう史奈の「夜のキリン」は、海辺の喫茶店の姉弟の物語で、恋に破れた人達の溜まり場とも言え、そこはかとなく悲しみと喜びの雰囲気を広げている。

ただ、松田(正隆)の世界と全く異なる点は、ここには現実の社会模様の入る余地がないということだ。

作者の関心は専ら姉弟の禁断の男女愛の関係に向けられ、最期に二人が、これも恋の幻影に憑かれた従姉とともに、海に沈んで死んでいくだけである。

舞台は姉を作者が井上麻美という役者名で、やくざな弟は演出の小松幸作が演じている。

このように、作、演出者が主役を演じる事は、 情緒過剰になる面を拭いきれず、淡々とした雰囲気を出している割にしめっぽいのだ。

ただ、脇役の年下の従妹やオカマの男などが、生きがよくからっと演じて面白く支えてくれた。

Vol.12「天使の梯子」
浦崎 浩實氏 
(テアトロ2003年6月号)

「天使の梯子」は、阪神大震災で家族を失った家が舞台。

古びた日本家屋。通り一つ隔てて、向こう側は地震で破壊され、こちら側はそれを免れたという不思議な家である。

でも、住んでいる人たちは、自分の分身を失っていた。

亮平(小松幸作)の妻は大阪にでかけている最中に罹災、遺体は発見されなかったが死んだものとあきらめねばならないだろう。そこに転がりこんでいる亮平の妹夫婦(藤野睦美+中岡耕)は住んでいたマンションが倒壊し、幼い息子を失っていた。 息子が使うはずだった黄色いすべり台が所在なく庭にある。

妻を亡くしたクリーニング屋(佐藤徹、菅井康利のW)、孫を亡くした豆腐屋のおあばあさんのエピソードも挟まれ、この孫、奈津子(藤原美紀)が、受験勉強のためこの家に寄宿している亮平のイトコ高次(鈴木達也、久米教平のW)のガールフレンドとして出現!そして亮平の親友、広田(橋本拓也)が、亮平の死んだはずの妻、信子(井上麻美)を見かけたと告げに来た。亮平の妹は広田をなじる。

せっかく兄が落ち着きかけ、新しい恋人となりそうなひかり(福田らん)もいるのに、いまさら希望的推測で気持ちを乱さないでほしい、と。

芝居の後段で、これが事実であることが判明する他、妹の夫の危なっかしい職業とか、うさん臭い宗教も出てきて、いわば震災で日常を狂わされた人たちのユガミが描き出される。

この芝居は、よく雨が降り、それも人物の会話をかぼそくさせてしまうほどの強い雨である。たぶん、内向していく人々の気持ちがそこには籠っているだろうし、ミニのヒヤシンスとか、アルバム、トマトジュース、ネクタイ等々小物が巧みに使われて、人間の心という目に見えないものを外在化させる手助けをしている。秀作と思う。

 

「夜のキリン」第13回テアトロ新人戯曲賞佳作受賞
テアトロ2002年4月号

魅力ある二本  −−小松 幹生

しゅう史奈「夜のキリン」は、海の近くの潰れかかった喫茶店を舞台に、苦しい恋に悩む姉と、姉を慕う自堕落な弟の、美しかった昔に帰るように心中してしまう成り行きを、あたり屋稼業のチンピラヤクザと姐さんの、元同級生同士のすれちがう心のありようを副筋において、くっきりと鮮やかに描く。

とりわけこの同級生同士の苛め合うつながりの哀しさが鋭く、この作家の格段の進歩を感じた。

(中略)…「夜のキリン」と「御伽草子」どちらを賞をするか、大いに迷ったが、「御伽草子」の力強さの魅力を取り、決断した。

「夜のキリン」は、語り手となる高子と律の姉妹が他の人物ほどにくっきりと描かれていないのが、惜しまれる。

今後の活躍を  −−斎藤 偕子

しゅう史奈の「夜のキリン」は、人物関係を進展させるせりふ構築の巧さ、主人公を取り巻く世界の広がりなどの点から、これまでの作品と比較して実のある作品になった。

海から生まれた主人公が、血のつながらない弟への愛を巻き添えに、分身のような精神の病んだ従姉ともども海に引きずり込んで死ぬという展開は、子宮帰願望成就を描きたかったのか。

だがそれは結局自閉的な世界で、ここから作者自身が飛躍する出口が見えない。

甘美な余韻を評価  −−江原 吉博

最終選考に残った四編のうち、私はしゅう史奈氏の「夜のキリン」を第一に推した。

「夜のキリン」は一種の心中ものである。立ち退きを迫られた喫茶店の女主人と義理の弟の関係が、時折かいま見える二人の感情の交差を伏線にして、心中に発展するっまでが描かれる。

女店主の酒浸りで自棄的な生活に弟の破滅的な行状が絡み合って、二人の関係をいかにも運命的なものに感じさせ、それが読後に甘美な余韻を残す。私はその余韻を評価したいと思った。

女主人と不倫関係にある男や近所のゲームセンターのマスター、主人公の従姉妹たちなど、登場人物の一人一人も厚みをもって描き込まれている。その点も他の三編よりは優れていると思えた。ただ、問題は心中の原因である。

何に絶望しているのか定かでない主人公の自暴自棄な生き方と、賭事で莫大な借金を背負い込んだらしい弟の追い詰められた状況とがドッキングしただけでは心中の十分説得的な原因とはならない。

姉弟とはいえ血のつながりは全くない二人が、一緒になって再出発を計れば再生も不可能ではないはず。主人公のナルシスティックな感情への惑溺だけでは情死の動機付けとして弱い。そこが気になる点だった。

森本ジュンジ氏の「御伽草子」も、読後に捨てがたい余韻を感じさせる点では「夜のキリン」に引けを取らない。(中略)…とはいえ、筋運びのうまさは抜群で、できればこれを佳作にと考えていたが、結果は逆になった。どちらも一長一短あり、私としては不服はない。

さらなる成長を  −−村井 健

月初めにロシアに出かけたため、残念ながら選考会には出られなかった。もちろん、前もって候補作を読み、私の意見は編集長に伝えておいたのだが、帰国後、結果を聞いてちょっと驚いた。

驚いたというのはほかでもない。私自身、出かける前に一通り読んで「もし当選作を出すならしゅう史奈さんの【夜のキリン】以外にない」と確信していたからである。

ところが、結果は違った。森本ジュンジさんの【御伽草子】が当選した。もちろん、私は大事な選考会に欠席していたのだし、いまさらとやかくいうつもりはないが、当惑したのは確かだ。

(中略)…それにしても、しゅう史奈さんの「夜のキリン」は、惜しかった。「つながったまま生まれてきた双子のような」姉弟心中を描いた作品だが、他の候補作品に比べ完成度はいちだんと高い。

作者は、これまで何度もこの賞に応募してきたが、そのたびに確実に実力を伸ばしている。それだけに今回は、の思いがあった。佳作ということだが、私としては作者がそういう中途半端さに甘んじることなく、再度、満点評を取るような作品を書いてわれわれ選者をうならせてほしいと思っている。

 

緊急エッセイ特集
「イラク戦争について思うこと 1」 
(テアトロ2003年6月号掲載)

[名もない兵士の話]/しゅう史奈

初めて震災をモチーフにした芝居を書いた。「生きる」という意味を考える作業になった。 そこに家族がいる、想いを伝えたい人がいる、街が、家がある事が、私の「生きる」だと気付いた。

八年前故郷にいなかった自分は、そこには踏み込めないとずっと思っていた。おののきながら目を背けていた自分を恥じていた。書き進む内に母から聞いた「名もない兵士の話」と重なった。戦いの終わりを告げる鐘を突いたその瞬間に討たれた兵士。

「損なわれた人間や街があった事を忘れるな!」。今もその時間に止まる鐘。体験した事のない自分が戦争なんて語れない、と思っていた。だがその映像や轟音はどこまでも私を追いかけてくる。一瞬で失われた故郷に、引き裂かれたあの人達に重なって私を揺さぶる。だから震えてなんかいられない。鐘を突く勇気がないまでもせめて前を向いてはっきり言おう。私は思うのだ。神様にだって誰かの「生きる」を奪う権利なんてない、絶対に。

エッセイ特集
「夏の思い出」 
(テアトロ2003年10月号掲載)

[パパ、ごめんね]/しゅう史奈

「晴れ着の代わりに海外旅行を贈る」、父は突如宣言した。

斯くして、はたちの夏、娘はヨーロッパ五カ国ツアーへ出発した。羨ましい! なんて言う人は私の事を知らないのだ。なにせこれが飛行機初体験、出不精で怖がりの私が望んでいたのは、断然「晴れ着で記念撮影」の方だったのに。大体その方面での冒険心は元から欠落している。 大晦日をハワイで、香港で、と両親が提案したのを、「炬燵で紅白が見たい」と反対した娘なのだ。

案の定、成田で迷子になり、イタリアで荷物が行方不明になった。唯一楽しみにしていたパリでは、お腹を壊しずっとホテルで寝ていた。ああ、ベルサイユ!

パソコンと素麺だけが友達の夏、たまには冒険がしてみたい。決まりきった日常を離れ、知らない街を見てみたい。あの時買ったヴィトンに黴がはえた今になって思うのだ。

やはり私の成長は、人より十年遅れている。

   

 エッセイ特集
「海に惹かれて」/しゅう史奈 (ピッコロ劇団機関誌into2007Vol.19掲載文)

 ”あの頃は幼かった なろうと思えば誰にでもなれた”…演劇学校本科の卒業公演「人質追走」の幕開きで歌った曲。私の役は日本人留学生らんこ。華やかなドレスの仲間に混じって、ポニーテールにモンペ姿が不服だった。娼婦の役だってできるのに!そんな事ばっかり考えて、思いを歌にぶつけていた。

「血の婚礼考」では少女役、「わが町」ではおしゃまなリベッカ、秋浜先生につけられたあだ名は『子供』で、そう呼ばれるのがすごく嫌だった。呼んで欲しくても、呼んで貰えない日が来る事など、考えてもみなかった日々。
 神戸の言葉で戯曲を書き始めて十年。初めて書いたテレビドラマも神戸の物語。心の中に故郷が強く刻まれていることに、書き始めるまで気づかなかった。窓から港が見下ろせた頃は、海に目を奪われたりせず、ひたすら東京を夢みていたから。

 須磨海岸の喫茶店を舞台にした「夜のキリン」は、とりわけ思い入れの強い作品だ。
”海の底の底の遠いとこまで ずうっと一緒に沈んでいこ”
夜中の部屋で、海に惹かれていく主人公美咲を思い描きながら、波の音に耳を澄ませた。懐かしい神戸に、あの頃に思いを馳せた。

 もう前ほどポニーテールは似合わない。あの頃は本当に幼かった。幸せだった。20年経った今も、私は時々あの歌を口ずさむ。少し大人になったけれど、思いは今も変わらない。
”なろうと思えば誰にでもなれる”、きっと。

 エッセイ特集
「上演によせて」/しゅう史奈 (ピッコロ劇団宣伝冊子への寄稿文)

よく言われること…
「あなたの作品はなんだか懐かしい」
えっ?どうして?

一期生でピッコロ演劇学校に入った時、初めて青いレオタードを着ました。
苦手なダンス、ドキドキのエチュード。広い楽屋でくつろぎ、錚々たる先生に学べる事を、当たり前のように思っていた日々。
あの頃は、早く飛び立ちたくて、遙かな東京ばかり夢見ていたのに、創作をするようになった私から溢れ出たのは故郷の言葉、街、人々の姿でした。
私に「子供」というあだ名をつけた先生、もじもじしていたレオタード、初舞台の緊張、劇場への道でカエルがげろげろ鳴いていた事も、すべてが作品の源になるなんて誰に想像できたでしょう。

「夜のキリン」は愛についての物語です。
私の作品が懐かしいとすれば、それは故郷の街に、人に、大きく抱かれ、愛に包まれてきたからです。
「夜のキリン」が、縁ある【ピッコロ劇団】によって上演される事を、嬉しく誇りに思います。

 
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